なるべくしてプロになった運命のゲーマー
“シン・FENNEL”のメンバーと目指すは世界

ゲーム好きの家族、頼りになる先輩、
チームに誘ってくれた仲間、理解してくれたコーチ。
節目節目で出会った人が、大事ななにかを与えてくれた。
いくつものターニングポイントを経て、
たどり着いた現在地。
だが、安住するつもりはさらさらない。
頼もしいチームメイトとともに、新たな戦いの場へ。

Photo EISYAKEN

※本文は2024年12月20日に発行したGAMEZINE Vol.29に掲載されたインタビューです。フリーマガジン「GAMEZINE Vol.29」のダウンロードはこちら

時間制限なし! 理想のゲーム環境ですくすく成長

――初めてプレイしたソフトなど、GON選手とゲームの出会いから教えてください。
両親がゲーム好きだったので、自宅にはスーパーファミコンやPlayStationなど、歴代のハードがそろっていました。その中でぼくが最初にプレイしたのはNINTENDO64の『大乱闘スマッシュブラザーズ』でしたね。時間制限などもなく、和気あいあいと楽しくプレイしていました。ただ、そんなに上手いわけではなくて、いわゆる「片鱗」のようなものはなかったです。

――PCゲームにはどのように入っていかれましたか?
母が『チョコットランド』というMMORPGをプレイしていて、一緒に遊んだのがPCゲームの原点ですね。そこでオンラインでゲームをする楽しさも覚えました。そこから近所の先輩たちと『Minecraft(以下、『マイクラ』)』をプレイするようになったんですが、マルチプレイ用のサーバーに入るようになってから、さらにのめり込みました。

――『マイクラ』は今もYouTube配信で楽しまれていますね。FPSにもその流れで進んでいったのですか?
先輩たちと『マイクラ』のマルチプレイをしていたらギルドから声がかかって、ネット上で輪が広がっていったんですね。そうしているうちに「ほかのゲームもやってみよう」となって、いろいろなゲームを渡り歩く中で先輩から『オーバーウォッチ』を教えてもらいました。ただ、当時は中学生だったのでどうやってソフトを買うのかがさっぱり分からなかったんですよ。コンビニでVプリカを買って…という一連の流れを先輩に手伝ってもらって、値段も6,000円くらいだったのでお小遣いをはたいて、なんとか手に入れました。そういった経緯も重なったので、初プレイのときは「こんなゲームがあるのか!」と衝撃を受けました。あのとき先輩が買うのを手伝ってくれなかったら、今はなかったと断言できます。


成長期の悩みとも戦った中学時代を乗り越えて

――振り返ると、この瞬間にFPSゲーマーの道が開けたわけですね。まさにターニングポイントだったと。
そうですね。ギルドの人たちがエンジョイ勢でいるところ、ぼくだけは負けたときにものすごく悔しがっていたんです。「もっと上手くなりたい」という気持ちが大きくて、そのときに自分の負けず嫌いな性格に気づきました。そこからはほかのゲームには目もくれず、『オーバーウォッチ』ひと筋でしたね。ただ、そのころはまだ声変わりをしていなかったので、ボイスチャットを使うのが嫌でずっとソロでプレイしていました。子どもの声であれこれ言ってもなめられる気しかしなかったので。スキル・レートが4,300まで行ったときに、試しにeスポーツチームの『オーバーウォッチ』のプロゲーマー募集要項を見てみたのですが、「年齢」と「ボイスチャット必須」の部分が引っかかったので諦めました。

――どうにもしがたい思春期ならではの悩み…。一方で「プロ」の世界も気にかけてはいたわけですね。
中学時代は本当に『オーバーウォッチ』漬けでしたからね。その反動だったり、祖母に心配されたこともあって、「モテたい」「リアルを生きよう」と思って高校入学と同時にゲームを一旦封印して、部活に入ったり学校生活を満喫しました。高校3年生のときに『VALORANT』がローンチされても、少し触ったくらいだったので。

――「高校デビュー」というひと言では表せないほど、別人というレベルで180度生活が変わったわけですね。
そうなんですが、このころに新型コロナウイルスが広まった影響で、学校に行けなくなってしまったんです。授業はオンライン、部活はできない、友だちとも遊べない。自宅でゲームくらいしかやることがなかったので、そのときに思い切り『VALORANT』をプレイしようと思いました。当時すでにDetonatioN FocusMeのMeiy選手とつながっていたので、彼からチームに誘われてNesterという全員高校生のチームを作って活動していたところ、プロチームから声がかかるようになったのでぼくはCYCLOPS athlete gamingに加入しました。そこからCREST GAMING Zstを経て、今のFENNELの一員になったという感じですね。改めて振り返ると、新型コロナが流行っていなかったら、プロゲーマーになっていなかったんじゃないかと思います。

2つのファイナルで味わった栄光と挫折

――世の中を変えた出来事が、GON選手の人生も変えたのですね。ゲームを解禁したときに、『VALORANT』にハマったのはどのような理由が考えられますか?
試合の勝ち負けが実力で決まる、運要素が小さいところが自分に合っていると思いました。ゲーム内で起こることのすべてが必然というか、プレイを言語化して説明できるところが激アツだなと。また、最近のことではあるんですが、FENNELで出会ったEulerコーチの存在も大きかったですね。ぼくは「失敗自体は悪いことじゃない。悪いのは失敗を繰り返すこと」という考えを持っているのですが、Eulerコーチも同じ考えだったので、やっと理解してくれる人に会えたと思ってうれしくなりました。勝つための方法論もすべて教えてくれましたし、Eulerコーチには感謝しかありません。

――そんな素晴らしいコーチとの出会いもあり、FENNELでは『VALORANT Challengers Japan 2024 Split 1』で優勝、『Split 2』で準優勝という結果を残しました。まず『Split 1』から、当時の心境などを聞かせてください。
『Split 1』は、直前のスクリムでも調子がよかったので「勝てる」という思いはありました。ただ、緊張から思うような調子が出せなかったので、苦しいと感じるところもありました。改めて「オフラインの会場には魔物が住んでいる」と思ったので、優勝できてよかったです。

――『VALORANT Challengers Japan 2024 Split2』はルーザーズからのファイナル進出。最初の2マップを取りながらも、あと一歩のところで優勝を逃すという結果でした。この試合のとき、どのようなことを考えていましたか?
あの試合は、正直「早く終わってほしい」と思っていました。3マップ目のバインド終盤で流れがRIDDLEに変わってから、ぼくを含めてチームが止まってしまった気がしたので、あと1ラウンドを取れる気がしなかったです。

――ちなみに『Split 1』から『Split 2』の間にデバイスをごっそり変えたそうですが、どのような意図があったのでしょうか?
「自分探し」…というのは冗談で、ぼくはデバイスオタクなので入れ替えは恒例行事なんです。最近は大会のシーズンごとに変えるのがルーティンになっていますね。モチベーションを維持するためにも新しい刺激がほしいので、その時のデバイスがなじんでいると思っても変えます。

――持ち味である思い切りのよさが、デバイスに対しても発揮されているわけですね。『Split 2』が終わってからは、どのように動かれていましたか?
11月1日から新しいチームとして活動を始めることが決まっていたので、2024年7月28日に『Split 2』が終わってからもすぐにトライアウトを進めていました。完全なオフ日は少なかったですが、『マイクラ』をプレイしたり友だちと遊んだりしてリフレッシュはできましたね。

大切な仲間と一丸で目指す2025年の大舞台

――英気を養えたようでなによりです。そして気になるのは、先ほども口にされた「新しいチーム」ですね。改めて新生FENNELについて聞かせてください。
neth選手、Hals選手、Aace選手、MrTenzouEz選手、そしてぼくですね。激アツ。もちろん選考にも関わりまして、重視したのはチームとしてのバランスです。火力枠としてHalsとAaceを、オールラウンダーとしてMrTenzouEzを選んでから、最後に実力十分なまとめ役としてneth選手に声をかけました。これまでの経験から、チームをチームとして機能させるためにはそれぞれの役割を明確にするのがいいと思っているんで、現時点で本当に「ぼくがかんがえたさいきょうのゔぁろらんとちーむ」が組めたと思っています。

――選手選考から関わって、年長者ということもありチームを引っ張っていく立場にあるわけですが、リーダーとしてどのようなことを大事にしていますか?
後輩をかわいがる、大事にすることですね。ほかのチームの若手選手から「年上の選手となかなか仲良くなれない」という話をよく聞きます。ゲーマーはよくも悪くも年齢を気にしないので、年下の選手が年上の選手に敬語を使わなくてもコミュニケーションが成り立つんですが、その反面、先輩が後輩を後輩として見なくなるので経験の引き継ぎなどが行われなくなるんですね。ほかにも一緒に食事をしていろいろと話すことで生まれるシナジーなどもあるはずなので、ぼくはそういった部分も大事にしたいと思っています。

――シーンを盛り上げるためにも、後進の存在は貴重ですよね。ちなみに、RIDDLEのCaedye選手にタコスを10個おごったというウワサに関しては…。
本当の話です。先輩としておごってあげようと思って連れて行ったら、ぼくが2、3個食べる間にCaedyeは10個食べていました。いや、あれはもはや飲み込んでいるレベルですね。でもその姿がかわいかったんですよ。ぼくは少食なので、よく食べる後輩は見ていて気持ちがいい。FENNELではHals、Aace、MrTenzouEzの食が太いので、彼らのお腹も満たしてあげたいですね。

――思い切り食べて、大会でも大暴れしてほしいですね。では、改めて2025年シーズンに向けての目標や意気込みを聞かせてください。
メンバーが揃ったので、『VALORANT Challengers Japan 2025』を抜けて、『VCT Ascension Pacific 2025 』優勝まで一気に駆け抜けたいですね。世界中にファンがいるゲームのプロになったわけですから、その人たちにも“日本のGON”を知ってもらえるようにがんばりたいですね。そして後輩の道しるべになれたらと思います。

――思い切りのよさと視野の広さを兼ね備えるGON選手なら、その願いも叶えられると信じています。理想のチームで心機一転、勝ち進む姿を楽しみにしています。

【プロフィール】

GON
FENNEL VALORANT部門所属。2002年生まれ。プレイヤーネームの由来は『HUNTER×HUNTER』からで、「まわりの人気は圧倒的にキルアでしたけど、逆張り気質なのでゴンにしました」

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